先日 岩手・宮城・福島・茨城県にお住まいの会員に 下記の様な葉書を出しました。
嘗て経験した事の無い 大きな地震が起きてから約二週間が過ぎました。 震源地の近くで被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
ご連絡が遅れましたが、東京・横浜にいる私たちは気をもむばかりで 皆様お一人お一人のご様子を知る術がありません。
大変な時とは思いますが、お元気かどうかのお返事を頂けませんでしょうか。 また、私たち“じんぺい会会員”にご支援出来ることがありましたら、遠慮なくご連絡ください。
じんぺい会のブログを通じて各地にいる会員に情報を伝えたいと思っています。
世界中の人たちが、一日も早く復興されることを見守っていますので、どうか明るい明日を信じて頑張って下さい。
本日、仙台にお住まいのS43年卒の 澤地 宏さんからお返事をいただきましたので、ご紹介します。
幸い 仙台市内でも被害の少ない所に住んでおりますが、海側の被害には絶句するぐらいです。
又 福島原発の放射線では不安の一番多いところです。
特にお願い事はございませんが、大変な方が多くおられるので、長期間のご支援をいただければ幸いと思います。
澤地 宏さんのご住所は
〒981-3212 宮城県仙台市泉区長命ケ丘3-2-14 です。
同期の方を始めとして、皆さんから 励ましのお手紙などのご連絡をお願い致します。
葉書は、住所が確かと思われる15名の方に出しましたが、お二人の方から「あて先に尋ねあたりません」と葉書が返ってきました。 ご無事なら良いのですが。
2011年3月31日木曜日
大地震被災地の会員
2011年3月26日土曜日
2011年1月10日月曜日
2010年12月22日水曜日
年末のお見舞い
早いもので12月も下旬になってしまいました。
仕事や私事など、いろいろ雑事があってブログの書き込みが途絶えがちで申し訳ありません。
12月18日(土) 42年卒の笹原さん、榎本副会長と3人で、辻堂の施設の仁平先生を訪問しました。
前回8月の瀬川さんとの訪問時のご様子から一寸不安な気持ちだったのですが、仁平先生はとても元気で安心しました。
顔見知りのヘルパーの方の「お部屋の方が良いですね」との言葉に甘えて、先生の個室で周りに気兼ねなくお話が出来ました。
今回は、現在 笹原さんが研究されている風力発電装置の動画をパソコンでお見せできました。
研究中のものですから詳しくは書けませんが、装置の縦軸プロペラが非常に軽く作られている様子が良く分かり、先生も興味をお持ちのようでした。
装置をセットしてある場所がすばらしい景色で、笹原さんが数カ月に1回 データー収集に通うのが納得出来る環境です。
今年のB級グルメ№1のモツ煮込みが食べられる羨ましい場所です。
話が弾んで、気が付いたら昼食時間になっていましたので慌てて失礼してきましたが、別れ際の先生の寂しそうなお顔が忘れられません。
施設の外に出て気が付いたら、写真を1枚も撮るのを忘れていました。
仁平先生には、この人はAさん、あの人はBさんとはお分かりにならなくても、自分の教え子なのだという事は理解されているはずです。
皆さんも機会をつくって、先生を訪問されたら如何でしょうか。
ご希望を連絡いただければ、出来るだけご案内いたします。
Merry Christmas and A Happy New Year !
皆さん、どうぞ お元気で良い年をお迎えください。
2010年8月8日日曜日
2010年夏 仁平先生の近況


連日 暑い日が続いていますが、皆様 お元気にお過ごしの事と思います。
昨日昼前に平成元年卒の瀬川さんと二人で、仁平先生を訪問しました。
チャイムを押して玄関外で待っている時に、窓から中を覗いた瀬川さんが「先生はお昼寝らしい」と気付きました。
ヘルパーの方が我々の訪問を先生に伝えて、一度は起きて椅子に座られたのですが、無理に起こしてはと思い 直ぐにまた横になっていただきました。
先生は夢うつつの状態でしたから お話は出来ませんでした。
瀬川さんは「先生にお会いするのは数年ぶりで、お話出来ないのは残念だが、お顔を見られたので・・・」との事でした。
7月17日の“じんぺい会”会場で出席された方に書いていただいた寄せ書きと当日の出席者名簿をヘルパーの方に渡して退出してきました。
立ち話でしたが、施設の責任者の方から直接「先日 病院で診察を受けたが、何処も悪いところは無かった」とお話が聞けました。
顔なじみになったヘルパーの方も「7月27日の先生のお誕生日(91歳)には、ケーキを買ってきて施設の皆さんとお祝いをしました。 つい20分位前までは何時もの様に元気でお話していたのに」と残念がってくれました。
出席されなかった方のために、7月17日の“じんぺい会”について簡単に報告しておきます。
出席者は、添付したリストの通りです。 仁平先生の近況と退任パーティーのビデオを見ながらの ケーキとコーヒーだけの懇親会として開催しました。
今後の“じんぺい会”で、嘗ての様に大勢の会員が集まる事は無いと思いますが、私の独断で“じんぺい会”は継続させていただきます。
幸いにして、会として多少の蓄えがありますので、本ブログと年1~2回程度の郵便で会員皆さんとの連絡を保ちたいと思います。
2010年7月25日日曜日
仁平先生退任記念パーティー(1990年春)のビデオ
7月17日(土)午後にお茶の水の紫紺館で“じんぺい会”を開催しました。
昨日 河内孝夫さん(昭和60年卒)がブログアップしてくれた“仁平先生退任記念パーティー(1990年春)のビデオ”は、当日会場で上映したものの一部(全体の1/2位)です。
このビデオは、鈴木仁さん(昭和48年卒)が撮影され大事に保管されていたものです。ブログアップの都合で三つ(約4分+8分+8分)に分かれています。
撮影後20年を経過し、一部に画像や音声の乱れはあるものの、仁平先生始め出席の皆さんの若い頃の元気な姿が見られます。
しかしながら 既にお亡くなりになった方がいらっしゃるのは残念な事です。
全体で20分程ですが、音量を調整して ゆっくりご覧になってください。
紫紺館での“じんぺい会”の様子については 追って報告させていただきます。
2010年7月24日土曜日
2010年2月13日土曜日
2009年12月31日木曜日
お久しぶりです
じんぺい会会員の皆さんへ
いよいよ本年も大晦日を迎えました。 御元気に一年を過ごされた事と思いますが、本年のまとめとして投稿いたします。
仁平先生の近況に大きな変化はありません。
10月17日に、私一人で辻堂の施設を訪問しましたが、体調は良さそうで 御元気でした。
私が最近夢中になっている趣味の事などで話が弾みました。
退出の時には、いつもの事ですが「もう一度 皆に会いたい」と涙目でおっしゃっていました。
約半年ほど 意識してブログへの投稿を控えていました。
ブログ開設以来 1年以上経過しましたが、皆さんからの投稿は殆どありませんでした。
私としては、ブログの開設は会員相互の情報交換・近況報告の場を提供する事にありましたが、どうも思ったように機能しなかったようです。
投稿しなかった半年間に個人的にメールを頂いたのは、仁平先生の近況を質問されたお一人(53年卒 滝本さん)だけでした。
以前 ブログに書いた事ですが、何とか仁平先生と会員の皆さんが集まれる機会を作れないものかと考えていました。 大勢で辻堂の施設に押しかけては、他の入居者の迷惑になりますので、気候の良い時に先生を施設外に案内出来れば良いのですが・・・。
11月末 仁平先生の御親族の方に、この様なお話をしたくて「一度お会いしたい」と電話したのですが、元々 御親族の方は我々のお見舞いを快く思っていないようで、お見舞いは遠慮してほしい事、まして先生を施設外に案内するなど相談に乗れないとハッキリと言われました。
この間の会話について文章では書き難いのですが、当分の間 私自身はお見舞いを控えます。
皆さんがお見舞いする事については 気にする事は無いと思いますので、機会を見つけて 出来るだけ頻繁に訪問して下さい。
以上の様な状況で、当分の間 私から 仁平先生の情報を伝える事は出来なくなりましたので、皆さんから情報をお送り頂くようお願い致します。
慣れないとブログへの投稿方法は分かり難いと思いますが、下記のアドレスにメールを送ってくれれば 私が代行します。 fwks8797@nifty.com
本年最後のブログ投稿が 愉快で無いものになってしまいましたが、来年は良い年になるよう期待しましょう。
2009年7月18日土曜日
軍司先生の訃報
昭和35年3月卒業の軍司先生の訃報です。
ご遺族の軍司裕昭様(ご長男)から連絡をいただきましたので、皆様にお知らせします。
父:軍司敏博は、去る6月27日(土)13時35分に春日部セントノア病院にて肺炎で他界しました。
5年程前にアルツハイマー型認知症を発病し、昨年12月から春日部セントノア病院に入院していましたが、病状が好転する事は無く、体力・気力が次第に減退し、5月末に肺炎が悪化し上記のような結果となりました。 享年80歳でした。
通夜・告別式は、6月末に 近親者で済ませました。
軍司先生は、明治大学を卒業後 日東紡でお仕事をされながら博士号を取得されました。
その後 大妻女子大学の教授となり、退官までお勤めされました。
謹んで、ご冥福をお祈りします。
2009年6月25日木曜日
事務局の野村です
2009年6月12日金曜日
事務局の野村です
5月23日 (土)の午前中、野村会長、武藤先生、高橋先生、根岸さんと私と5人で仁平先生を訪問しました。
私にとりましては、初めての訪問になりました。
このホームに初めて伺ったのですが、住宅地に囲まれていて、明るく、清潔で、アットホームな施設に感じました。
ホームの方には、事前に野村会長の方からご連絡されていたようで、玄関まで仁平先生が出迎えてくれました。
我々全員を覚えておられるのかは定かではありませんので、念のためそれぞれ、仁平先生に名前を告げ、先生の個室でお話をしました。
私たちが話しかけますと、うなずくことが多いのですが、時々、一言二言話します。
もちろん、時々は聞き取りにくいこともありました。
野村会長が「日本の路地裏」という写真集を差し上げたら、ゆっくりと1ページ1ページめくりながら興味ありげに見ていらっしゃいました。
そのうち、武藤先生が中国に行ってきたことを話題に出したら、時々,話しかけてくれて、会話に参加しようと努力されているように感じました。
仁平先生の部屋の机の上には、奥様とお嬢様の写真が飾ってありましたが、当然ですが、ご家族のことには、一切触れずにきました。
30分位の滞在でしたが、思っていた以上にお元気そうに見えました。
行動はスローなのですが、表情は極めて穏やかで、訪問した我々に何か大分気を使っているようにも思いました。
帰りも、玄関まで普通に歩いて見送ってくださいました。
願わくば、私たちのことを少しでも思い出して下さることを思いながら、ホームを後にしました。
工藤 勝利
2009年2月20日金曜日
じんぺい会事務局 野村です

鴨田さんから この時の写真と共にコメントが届きましたので、ブログに転記します。
48年卒業の鴨田です。
2月14日(土)11時から30分程、野村会長と、私と同じ会社(鹿島建設)の濱田の3人で、仁平先生がお世話になっている、ホームフレンド辻堂の施設に行って来ました。
野村会長に、以前から、仁平先生にお会いに行かれる時に、是非、ご一緒させて下さいとお願いしておりました。
念願がかない、感謝しております。
先生のお顔を、久しぶりに拝見し、思っていたよりも、ずっとお元気そうなので、安心しました。
先生には、就職活動にも、大変お世話になりましたし、私の結婚式にも主賓で列席して頂いたりで、お世話になりっぱなしです。
現在の生田校舎の話をしている時、とても懐かしそうにされておられました。
当日は、施設のロビーで、お会いしましたが、天気もよく、ロビーも明るく綺麗で、楽しく過ごさせて頂きました。
施設には、1階9人、2階9人の合計18人の方がお世話になっているようです。
帰りは、先生に、玄関までお見送りをして頂きました。
追記
仁平先生に「暖かくなったら、じんぺい会の皆さんとお花見に行きたいですね。」とお話したら、嬉しそうに肯いていらっしゃいました。
ご親族を説得するのは難しいかも知れません(施設の方の了解はいただけると思います)が、何とか実現したいと思っています。
2009年2月15日日曜日
じんぺい会事務局 野村です
2000年6月10日に行われた“じんぺい会”の写真が見つかりました。
何台ものパソコンを駄目にしてきた(使い方が荒っぽい?)ため昔のデータが散逸してしまい、何が何処にあるのか分からなくなってしまいましたが、この写真は2台前のパソコンのバックアップCDの中に入っていました。
仁平先生はじめ元気な皆さんの姿を見ると、あれから10年も経っていない現在の様子が嘘みたいな気がします。 写真に写っている方からの連絡をお願いします。
皆さんの中に 昔の”ゼミ””じんぺい会”の写真などをお持ちの方がいらっしゃると思います。 お持ちでしたら、PCデータでなくても結構ですから、思い出などを添えてお送りいただくようお願いします。
2009年1月27日火曜日
寒中お見舞い
寒中お見舞い申し上げます。
寒さはこれからが本番ですが、お変わりありませんか。
おかげさまで私は無事に過ごしております。
皆様には どうぞ風邪などにお気をつけてお過ごしください。
年明けに仁平先生をお訪ねするつもりでしたが、同期の安東さんから昨年末押詰まってからお伺いしたとの連絡をいただいた(お元気だったとの事)ので、二月中旬に延期しました。
続けてお伺いした後 間が空くより、2ヶ月置き位に誰かが伺う方が良いだろうと考えています。
今回は、以前から先生の訪問を希望されていた48年卒の鴨田さんとご一緒する予定です。
鴨田さんのように 先生にお会いした希望をお持ちの方は ご連絡ください。
お一人ではお伺いし難いお気持ちは理解できますので、暫く待っていただけるなら順番にご案内します。
暖かくなったら、ご親族の方、施設の方の理解を得て、施設の近所でお花見でも出来たら良いなぁと思うのですが。
何とか実現できる様に頑張りますので、その時には 皆さん万難を排してお集まりください。
じんぺい会事務局 野村圭二郎
2008年12月14日日曜日
じんぺい会事務局 野村です
仕事が一段落したと思ったらプライベートの用事が出来たりで、奥様のお墓参り報告後 3ヵ月程ブログ投稿が途切れてしまいました。
榎本副会長からの投稿のように、先生は12月上旬にヘルニア手術のため入院されましたが、現在では退院されお元気の様です。
退院後(12/8?)に先生を訪ねた44年卒の安東さんからメールが届きましたので、以下に ご本人の了解を得てメールを転記いたします。
久しぶりで先生とお会いしました。 忙しくていけなかったので。
お元気でした。
先日3人の方が見えたようです。(注:私達の事です)
なかなか会話にならなかったようです。 先生はわかるが、先生の言葉が耳元でないと理解できないので、少し離れると聞き取れませんから。
私は耳が遠くなり補聴器を付けましたのでなおさらです。 先生の口元に耳を付けて
先生と手を握り合って話しています。 力強く握ってくれています。 顔色もよく。
先週、ヘルニアの手術からお帰りになったとのこと。 そういえば前回トイレへ行くのに介護さんが一緒にWCへ入りましたが、昨日は一人で入りました。
歩くのも良くなったとのことです。
デイサービスのヘルパーさんは移動がはげしいのですが、ここの介護のおばさんたちがほとんどいつものメンバーなので良いですね。
顔見知りになって先生の状況を教えてくれるようになりました。
また年末にいこうかと思っています。 ご一緒できれば良いですが。
我々が11/29に先生を訪ねたとき、短時間でしたが話に夢中になってお写真を撮るのを忘れてしまいました。 外に出てから気がついたので、施設の前で写真を撮ってきました。
先生がどの様な施設にいらっしゃるのか ご存知でない方が多いと思いますが、新築で明るく不自由さを感じさせない施設だと思います。 (写真に写っている二人の爺さんは施設の世話になっている者ではありません。 無視して下さい)
皆さんのお手元に、じんぺい会の写真がありませんか?
先生も皆さんも若かった頃の写真をお持ちでしたら、ご自身でブログの投稿するか私宛にお送りください。(デジタルデータでなくても構いません)
私も何年か分の写真を持っているので、これから時々 ブログに載せたいと考えています。
今年も あと数週間になりました。 皆さん、お元気で新年をお迎えください。
2008年12月1日月曜日
11/29 仁平先生にお会いしてきました
野村会長、根岸氏、榎本の三人で行きました。先生はロビーでお待ちしていました。事前に会長がTELしていたので待っていた様子でした。こちらから名前を告げると、少し思い出された様子でした。
私の印象では、少しお元気が前に行ったときよりも良くなってないように見受けられましたが、あとのはなしで、ヘルニアで、近じか病院に行くと聞いたので、なるほどそのせいかと思いました。
その後先生の部屋でお話をしました。先生の声は小さかったのでききとりにく3人で通訳などしてわかったくらいです。部屋には自宅のように本が無いので寂しそうでした。会長が今度来るときに建築の写真集を持ってきましょう、というとうれしそうに返事をしていました。
先生がふと奥様の話をだされてわたしたちではご病気でそれ以上はわからないというと、さびしそうにしていました。15分程度のお話しか出来なかったので、詳しいことは報告できませんが以上先生の印象です。
2008年9月14日日曜日
じんぺい会事務局 44年卒の野村です
御存じのように、昨年12月9日に仁平先生の奥様:宏子様がお亡くなりになりました。
奥様の事を忘れていた訳ではありませんが 仁平先生ご自身の事が気になって、つい お墓参りに行きそびれていました。
もう暫く待って お彼岸に行くべきかとも考えたのですが、その頃は何かと忙しくなりそうなので、思いきって9月9日に家内と二人でお墓参りをしてきました。
奥様に初めてお会いしたのは、大学2年生の正月だったと記憶していますから 既に40年も前の事になりました。
無理を云って結婚式の仲人をお願いし、その後は私より むしろ家内の方が より親しくお付き合いをいただいていました。
以前から 笑いながら「足がわるくて良く転ぶの。 また骨折しちゃったんです」と お話されていましたが、脳梗塞の兆候があったとは知らず、訃報を聞いた時は本当に吃驚しましたし 未だに信じられない思いです。
写真を撮られるのが お嫌いで、とうとう1枚も撮らせていただけなかったのが心残りです。
お墓には、奥様の他 仁平先生のお父様、お嬢様:純子様が納骨されています。
仁平家のお墓は、藤沢市の大庭台墓苑にあります。
詳しくは、大庭台墓苑 14区 2-15列 6番 です。 (この事は同期の安東さんに調べていただきました)
辻堂駅北口からバスがありますが、緑が多く 広々と明るい公園霊園です。
バス停:西高校前を降りてから墓苑の中を かなり歩く事になりますから、お出でになる方は事前に藤沢市のインターネット ホームページで調べて下さい。
お彼岸時期を避けて、車かタクシーの利用が良いのではないでしょうか。
以上 お墓参りの報告です。
2008年8月23日土曜日
39年卒 丹羽さんからの投稿です
丹羽さんからのメールを転送します。
8月16日に 丹羽さんと一緒に、仁平先生を訪ねました。
この時の事のお知らせです。
8月16日(土)野村会長と共に先生の所へお見舞いに行きました。会長にチャンスがあれば、私もお供したいとお願いしておいたのですが、実現することが出来ました。
当日は10時半に辻堂駅で待ち合わせをし、近くの喫茶店で訪問するにあたっての心構え等を会長からお聞きし、タクシーで先生のおいでになるケア施設に行きました。お年寄り向けのこぎれいな施設でした。玄関を入ってロビーの先にリビングがあり、先生はそこに座っておいでになりました。野村会長がまずご挨拶し、先生はもちろんのこと会長をよく知っておられてにこやかにご挨拶されておりました。次に会長さんから私を紹介してくださったのですが、先生は怪訝な様子で、私からの口からも昭和39年に卒業した丹羽です、先生には在学中も就職にあたっても本当にお世話になりました。私の結婚式にはお越し頂きご挨拶も頂戴しました、などと何回か名前を名乗り、私のことを述べたのですが、残念なことにはっきりと思い出して頂いたようには見受けられませんでした。
施設の方に促され、先生の個室に移り、野村会長から6月14日に明治大学お茶の水紫紺館で行われたじんぺい会の状況を説明され、またその時の集合写真などで集まったメンバーなどについてお話がされました。先生は熱心に会長のお話に頷かれておりました。私も皆さんに会いたいなあ、とはっきりとおっしゃりました。先生是非お体を快復され次回にはご出席してください、と返答しにこやかに頷いておられました。でもここにいて皆さんにお会いできないでいることを寂しいともおっしゃっておいでになりました。
私は東京電力に就職したのですが、仕事で赤坂の電設工業協会にも何回か足を運んだことがます、先生はこの協会をはじめ特に電設工業界には絶大な貢献を果たされたのをよく存じております、などとお話ししましたらにこやかに頷いておられました。事実多くの教え子が日本はもとより世界各地で電気設備の発展に活躍されたことと思います。
リビングでの時間を合わせて30~40分程度の訪問でした。先生は穏やかな雰囲気で対応してくれました。過去の記憶は誰でも怪しくなるもので、先生が思い出さないこともあるのも当然なことと思います。先生は奥様がここにおらない等ともお話しされておりましたが、先生からの言葉からは、とくに不自然さは見受けられずごく普通に穏やかな会話が出来たと思います。
私らが帰るときには、もう帰るのかという感じで、いかにも名残惜しそうでした。ここら辺に昼でも食べるところはあるのかな(あれば一緒に食おうか)という雰囲気でした。極暑にもかかわらず玄関を出て見送っていただきました。
私、先生には何十年とお会いしていませんでした。じんぺい会からの連絡で先生のお体が思わしくないと伺って、なんとしてもお会いし、私65歳まで勤めた電力会社を通じて先生に教えていただいたことを自分なりに発揮出来たことを報告し、お礼の言葉を申し上げたくていました。今回実現できたことを本当に嬉しくほっとしています。先生がお体を快復され、またじんぺい会にご出席され、再会出来ることを改めて期待し楽しみにしています。
丹羽 信昭
Tel&Fax 045-781-7761
E-Mail noburin@seaple.icc.ne.jp
2008年8月2日土曜日
ブログ名称 投票結果
本ブログの名称を決めるために、5月から行っていた投票です。
7月31日に締め切りましたのでその結果をお知らせします。
総投票数:12票
内訳
建築環境研究会-------3票(25%)
じんぺい会-----------8票(66%)
照明工学研究室-------1票(8%)
その他---------------0票(0%)
ということで、引き続きブログ名称は「じんぺい会」で運用していきます。
河内(60)
2008年7月27日日曜日
41年卒 高田さんからの投稿です
ブログへの投稿に慣れないためか、ブログへ直接投稿が上手くいかないようで、野村宛にメールをお送りいただきました。 私 野村から、ブログへ転送します。
会員の皆さんも、ブログへの投稿に手間取るようなら、私からブログに転送しますから、私宛ーfwks8797@nifty com-にメールをお送りください。
先生へのお見舞いは6月14日安東さんと御一緒しました。
施設の食堂の椅子に腰掛け我々の方を見て手を振って居ました。
側に行き日本刀の好きな高田です(痴呆症の人には先に名乗れば余分な負担を掛けないと医者に聞いていたので)と言うと「お-判っているよ」と言い握手致しました。
施設の方の好意で椅子を借り先生の居室に移り3人で雑談をしている時しきりに折角来てくれたのに奥様と娘さん二人とも買い物に行って何の愛想も出来ず申し訳ないと言われました。
途中 安東さんが植栽をすると云い中座し先生と二人になった時 昔海軍将校時代の短剣の話になり手振りで形状の説明をしてくれました。
(私が刀を好きなのを知っている素振りでした)
話が途切れた時 安東さんが植栽をするのを見たいと言い食堂の方に戻る時歩きながら彼には植栽とゆう趣味があって良いなあ-自分は何もやる事がないと言って居られました。
三人で部屋に戻り焼物等の話をし先生は綺麗な物が好きだと仰りながら 先日安東さんが持参した写真を机の引き出しより出して見せてくれました。
引き出しの中に古い週刊誌(週刊朝日)が有りましたので新しい週刊誌を置いて行こうか?と言いましたら
もう読むのも億劫だからいらないと言われました。
帰りは靴を履いて玄関の外まで見送りしてくれずっと手を振っていてくれました。
(何か切なかったです)。
身内の方がお見舞いを拒む理由は図り知れませんが先生は喜んでいた様に思えました。
私は時間が許せば又お伺いしたいと思います。
gikentk@crest.ocn.ne.jp
東陽技研工業株式会社
髙 田 克 裕
2008年7月21日月曜日
じんぺい会事務局 44年卒の野村です
6/14(土)じんぺい会案内の返信葉書(事務局から発送した葉書の約半数)に、色々な御意見・御希望が寄せられました。
私としては皆さんの御意見を理解したうえで、6/14のじんぺい会で
①じんぺい会は、今後暫くは 今まで通り継続する。
②会員相互の連絡や情報交換等のために、ブログを開設したい。
③48年卒の鈴木仁さんに副会長に就任してもらう。 事を提案し、出席者の賛同を得ました。
葉書に書かれた御意見・御希望については、下記をご覧いただきたいのですが、①について補足させていただきます。
私自身は一昨年末に、大学卒業後 約40年間勤めた事務所を定年退職し第二の勤めに入りましたが、体力の衰えを実感し 無理の無い勤務条件に変えてもらっている状況です。
このまま、何時まで動き回れるか分かりませんし、“じんぺい会”会長職も今後長期間に亘ってお引き受け出来る自信もありません。 何時までも60を超えた私や榎本副会長が頑張れる訳ではありませんから、皆さんには常に次の事をお考えいただきたいと思います。
しかし、仁平先生の病状がハッキリしない今ここで、私には 会の解散や再編を考える事は出来ませんでした。
今後の“じんぺい会”について、大半は“コメント無し”や“事務局の判断にお任せ”でしたが、以下にお寄せいただいた御意見・御希望の要旨を転記します。
会の先輩・後輩との面識はなく、また先生がご高齢になられた現状では「名ばかり会員」の小生としては今後に出席する予定はありません。 S37年卒 K氏
お互いに高齢化が進んでおります。 勝手ながら これからは個々人で皆様のご健勝をお祈りさせて頂きたいと思っております。 長年に亘る無礼を謝し、今後の皆様のご活躍・ご健勝をお祈り申し上げます。 お世話になりました。 S39年卒 M氏
私は完全に現役を退き、隠居の身で各界からのお誘いも欠席していますので、申し訳ありませんが今後は退会扱いにして下さい。 S36年卒 S氏
私は現在闘病生活を続けています。 この際「じんぺい会」を退会のお願い申し上げたく思いますので、ご承認を願います。 S33年卒 I氏
遠距離のため、今後のじんぺい会への参加は困難です。 今までの連絡に感謝致しております。 S37年卒 M氏
私ももう65才になり意欲が無くなっています。 まことに勝手ですが、連絡頂いても申し訳ありませんので、今後は連絡を辞退させて下さい。 宜しく御願い致します。
S41年卒 N氏
先生が御出席できないじんぺい会は今後も出席者が減ってくる事が予想されます。 従来の会を一端 区切りとしたら如何でしょう。 今後の会としては、仁平研究室の同窓会として仮に“仁平同窓会”として改めて発足しては如何でしょうか。 S44年卒 O氏
仁平ゼミは、かなり以前の「グループ」であり、仁平先生の現状を考えると“じんぺい会”を解散しても良いのではないかと思います。 S33年卒 T氏
仁平先生の出席があっての「じんぺい会」ですので、今後先生の御出席が望めないのであれば「じんぺい会懇親会」は継続せず解散してはいかがですか。 S46年卒 B氏
私自身も体調不良につき外出もつらい昨今であり、先生の体調を考えると「解散も止む無し」と考えます。 本日までの御苦労に感謝致します。 S35年卒 K氏
仁平先生居ての“じんぺい会”。 出席なければ発展的解散。 S34年卒 M氏
先生の出席が望め無いこれからの事を考えると、この際 会の解散を考えた方が良いのではと思います。 S39年卒 I氏
『じんべい会』は先生が教壇を離れた時点で、その後の事を考慮すべき問題であったと思います。 先生が教壇から離れるという事は、教え子が出ないので新会員の増加を期待出来ないということになります。 水源が枯れた湖のようなもので現会員も加齢と共に自然減少し、会が成立たなくなると思います。 ご家族も他界され、先生の気力減退もあり、先生を求心力とする会の維持は困難なものになりつつあると考えられます。 従って、丁度よい機会なので一旦、『じんべい会』を解散し、先生への想いをつなげて行きたい教え子は、新たに同好会でも結成して活動したら如何ですか。 S37年卒 K氏
地方に住んでいますと上京の機会も少なく、又あっても なかなか重い腰を上げる事も出来にくくなっております。 S40年卒 K氏
小生は痛風を患って少々歩行に難になってしまいました。 もう少し様子を見たいと思っています。 S39年卒 K氏
仁平先生に心の支えとしての役割を担っていただきましたおかげで、何とか定年まで仕事を続けることが出来ました事 一生感謝しております。 じんぺい会に出席出来ずとも、会員であることに誇りを持っております。 S42年卒 A氏
じんぺい会の存続を宜しくお願いします。 S51年卒 S氏
じんぺい会は今まで通りの組織・会費・年1回の開催で継続できればと思います。
S34年卒 I氏
永年続いた“じんぺい会”、出来れば続けて欲しいと思います。 S34年卒 T氏
じんぺい会の継続を希望します。 懇親会は、出来れば年1回の開催を希望します。
S53年卒 A氏
私の希望としては最後の一人になるまで“じんぺい会”は続けていきたい。 続けてほしい。 S53年卒 T氏
従来の通り続けた方が良いと思います。 S35年卒 Y氏
今後も継続した方が良いと思います。 S47年卒 O氏
定例的な会合も価値あると思いますが、定常的な情報交換ができるような仕組みを立ち上げたらどうかと思います。 Web上に作ることも可能ですので。 S60年卒 K氏
我々は“仁平ゼミの卒業”という共通性を持っての集いですが、残念ながら縦横の親睦や連携が良いとは言えません。 中心人物の健康や存続に左右されるのは仕方ないことかも知れません。 但し我々の思い出が消えるわけでもなく、確かにゼミそのものは短い期間ではありましたが、その小さなゼミの土台に大きな経験を積み上げてきた現在の我々ですから これからも機会ある毎に集って語り合う場を持つことはとても有意義かと思います。
S42年卒 K氏
仁平先生不在の“じんぺい会懇親会”は あまり意味が無いと思います。 今後の“じんぺい会”については事務連絡の会とした方が良いのでは・・・。 S48年卒 G氏
今後の“じんぺい会”の運営については、折角の永く続いた会ですので、情報交換の場として活かして欲しいと思います。 S31年卒 I氏
2年に1度は必ず会を開いて下さい。(毎年でも良いです) S49年卒 H氏
今後も年1回の“じんぺい会”を継続する様お願いします。 年1度の“じんぺい会”楽しみにしています。 S48年卒 K氏
先生の健康状況から今後のご出席は出来ないとしても、これからも年1回程度の集まりは継続した方が良いと思います。 平成2年3月の卒業生までの皆様が各方面で活躍されている事ですし、先輩後輩を通じた人的ネットワークを広げていける場の一つとしての意義があると思います。 S48年卒 M氏
“じんぺい会”は今後も存続して頂きたいと思っております。 S50年卒 A氏
何らかの形での会の存続を希望します。 S46年卒 I氏
