早いもので12月も下旬になってしまいました。
仕事や私事など、いろいろ雑事があってブログの書き込みが途絶えがちで申し訳ありません。
12月18日(土) 42年卒の笹原さん、榎本副会長と3人で、辻堂の施設の仁平先生を訪問しました。
前回8月の瀬川さんとの訪問時のご様子から一寸不安な気持ちだったのですが、仁平先生はとても元気で安心しました。
顔見知りのヘルパーの方の「お部屋の方が良いですね」との言葉に甘えて、先生の個室で周りに気兼ねなくお話が出来ました。
今回は、現在 笹原さんが研究されている風力発電装置の動画をパソコンでお見せできました。
研究中のものですから詳しくは書けませんが、装置の縦軸プロペラが非常に軽く作られている様子が良く分かり、先生も興味をお持ちのようでした。
装置をセットしてある場所がすばらしい景色で、笹原さんが数カ月に1回 データー収集に通うのが納得出来る環境です。
今年のB級グルメ№1のモツ煮込みが食べられる羨ましい場所です。
話が弾んで、気が付いたら昼食時間になっていましたので慌てて失礼してきましたが、別れ際の先生の寂しそうなお顔が忘れられません。
施設の外に出て気が付いたら、写真を1枚も撮るのを忘れていました。
仁平先生には、この人はAさん、あの人はBさんとはお分かりにならなくても、自分の教え子なのだという事は理解されているはずです。
皆さんも機会をつくって、先生を訪問されたら如何でしょうか。
ご希望を連絡いただければ、出来るだけご案内いたします。
Merry Christmas and A Happy New Year !
皆さん、どうぞ お元気で良い年をお迎えください。
2010年12月22日水曜日
年末のお見舞い
2010年2月13日土曜日
2009年6月25日木曜日
事務局の野村です
2009年6月12日金曜日
事務局の野村です
5月23日 (土)の午前中、野村会長、武藤先生、高橋先生、根岸さんと私と5人で仁平先生を訪問しました。
私にとりましては、初めての訪問になりました。
このホームに初めて伺ったのですが、住宅地に囲まれていて、明るく、清潔で、アットホームな施設に感じました。
ホームの方には、事前に野村会長の方からご連絡されていたようで、玄関まで仁平先生が出迎えてくれました。
我々全員を覚えておられるのかは定かではありませんので、念のためそれぞれ、仁平先生に名前を告げ、先生の個室でお話をしました。
私たちが話しかけますと、うなずくことが多いのですが、時々、一言二言話します。
もちろん、時々は聞き取りにくいこともありました。
野村会長が「日本の路地裏」という写真集を差し上げたら、ゆっくりと1ページ1ページめくりながら興味ありげに見ていらっしゃいました。
そのうち、武藤先生が中国に行ってきたことを話題に出したら、時々,話しかけてくれて、会話に参加しようと努力されているように感じました。
仁平先生の部屋の机の上には、奥様とお嬢様の写真が飾ってありましたが、当然ですが、ご家族のことには、一切触れずにきました。
30分位の滞在でしたが、思っていた以上にお元気そうに見えました。
行動はスローなのですが、表情は極めて穏やかで、訪問した我々に何か大分気を使っているようにも思いました。
帰りも、玄関まで普通に歩いて見送ってくださいました。
願わくば、私たちのことを少しでも思い出して下さることを思いながら、ホームを後にしました。
工藤 勝利
2009年2月20日金曜日
じんぺい会事務局 野村です

鴨田さんから この時の写真と共にコメントが届きましたので、ブログに転記します。
48年卒業の鴨田です。
2月14日(土)11時から30分程、野村会長と、私と同じ会社(鹿島建設)の濱田の3人で、仁平先生がお世話になっている、ホームフレンド辻堂の施設に行って来ました。
野村会長に、以前から、仁平先生にお会いに行かれる時に、是非、ご一緒させて下さいとお願いしておりました。
念願がかない、感謝しております。
先生のお顔を、久しぶりに拝見し、思っていたよりも、ずっとお元気そうなので、安心しました。
先生には、就職活動にも、大変お世話になりましたし、私の結婚式にも主賓で列席して頂いたりで、お世話になりっぱなしです。
現在の生田校舎の話をしている時、とても懐かしそうにされておられました。
当日は、施設のロビーで、お会いしましたが、天気もよく、ロビーも明るく綺麗で、楽しく過ごさせて頂きました。
施設には、1階9人、2階9人の合計18人の方がお世話になっているようです。
帰りは、先生に、玄関までお見送りをして頂きました。
追記
仁平先生に「暖かくなったら、じんぺい会の皆さんとお花見に行きたいですね。」とお話したら、嬉しそうに肯いていらっしゃいました。
ご親族を説得するのは難しいかも知れません(施設の方の了解はいただけると思います)が、何とか実現したいと思っています。
2008年12月14日日曜日
じんぺい会事務局 野村です
仕事が一段落したと思ったらプライベートの用事が出来たりで、奥様のお墓参り報告後 3ヵ月程ブログ投稿が途切れてしまいました。
榎本副会長からの投稿のように、先生は12月上旬にヘルニア手術のため入院されましたが、現在では退院されお元気の様です。
退院後(12/8?)に先生を訪ねた44年卒の安東さんからメールが届きましたので、以下に ご本人の了解を得てメールを転記いたします。
久しぶりで先生とお会いしました。 忙しくていけなかったので。
お元気でした。
先日3人の方が見えたようです。(注:私達の事です)
なかなか会話にならなかったようです。 先生はわかるが、先生の言葉が耳元でないと理解できないので、少し離れると聞き取れませんから。
私は耳が遠くなり補聴器を付けましたのでなおさらです。 先生の口元に耳を付けて
先生と手を握り合って話しています。 力強く握ってくれています。 顔色もよく。
先週、ヘルニアの手術からお帰りになったとのこと。 そういえば前回トイレへ行くのに介護さんが一緒にWCへ入りましたが、昨日は一人で入りました。
歩くのも良くなったとのことです。
デイサービスのヘルパーさんは移動がはげしいのですが、ここの介護のおばさんたちがほとんどいつものメンバーなので良いですね。
顔見知りになって先生の状況を教えてくれるようになりました。
また年末にいこうかと思っています。 ご一緒できれば良いですが。
我々が11/29に先生を訪ねたとき、短時間でしたが話に夢中になってお写真を撮るのを忘れてしまいました。 外に出てから気がついたので、施設の前で写真を撮ってきました。
先生がどの様な施設にいらっしゃるのか ご存知でない方が多いと思いますが、新築で明るく不自由さを感じさせない施設だと思います。 (写真に写っている二人の爺さんは施設の世話になっている者ではありません。 無視して下さい)
皆さんのお手元に、じんぺい会の写真がありませんか?
先生も皆さんも若かった頃の写真をお持ちでしたら、ご自身でブログの投稿するか私宛にお送りください。(デジタルデータでなくても構いません)
私も何年か分の写真を持っているので、これから時々 ブログに載せたいと考えています。
今年も あと数週間になりました。 皆さん、お元気で新年をお迎えください。
2008年12月1日月曜日
11/29 仁平先生にお会いしてきました
野村会長、根岸氏、榎本の三人で行きました。先生はロビーでお待ちしていました。事前に会長がTELしていたので待っていた様子でした。こちらから名前を告げると、少し思い出された様子でした。
私の印象では、少しお元気が前に行ったときよりも良くなってないように見受けられましたが、あとのはなしで、ヘルニアで、近じか病院に行くと聞いたので、なるほどそのせいかと思いました。
その後先生の部屋でお話をしました。先生の声は小さかったのでききとりにく3人で通訳などしてわかったくらいです。部屋には自宅のように本が無いので寂しそうでした。会長が今度来るときに建築の写真集を持ってきましょう、というとうれしそうに返事をしていました。
先生がふと奥様の話をだされてわたしたちではご病気でそれ以上はわからないというと、さびしそうにしていました。15分程度のお話しか出来なかったので、詳しいことは報告できませんが以上先生の印象です。
2008年9月14日日曜日
じんぺい会事務局 44年卒の野村です
御存じのように、昨年12月9日に仁平先生の奥様:宏子様がお亡くなりになりました。
奥様の事を忘れていた訳ではありませんが 仁平先生ご自身の事が気になって、つい お墓参りに行きそびれていました。
もう暫く待って お彼岸に行くべきかとも考えたのですが、その頃は何かと忙しくなりそうなので、思いきって9月9日に家内と二人でお墓参りをしてきました。
奥様に初めてお会いしたのは、大学2年生の正月だったと記憶していますから 既に40年も前の事になりました。
無理を云って結婚式の仲人をお願いし、その後は私より むしろ家内の方が より親しくお付き合いをいただいていました。
以前から 笑いながら「足がわるくて良く転ぶの。 また骨折しちゃったんです」と お話されていましたが、脳梗塞の兆候があったとは知らず、訃報を聞いた時は本当に吃驚しましたし 未だに信じられない思いです。
写真を撮られるのが お嫌いで、とうとう1枚も撮らせていただけなかったのが心残りです。
お墓には、奥様の他 仁平先生のお父様、お嬢様:純子様が納骨されています。
仁平家のお墓は、藤沢市の大庭台墓苑にあります。
詳しくは、大庭台墓苑 14区 2-15列 6番 です。 (この事は同期の安東さんに調べていただきました)
辻堂駅北口からバスがありますが、緑が多く 広々と明るい公園霊園です。
バス停:西高校前を降りてから墓苑の中を かなり歩く事になりますから、お出でになる方は事前に藤沢市のインターネット ホームページで調べて下さい。
お彼岸時期を避けて、車かタクシーの利用が良いのではないでしょうか。
以上 お墓参りの報告です。
2008年8月23日土曜日
39年卒 丹羽さんからの投稿です
丹羽さんからのメールを転送します。
8月16日に 丹羽さんと一緒に、仁平先生を訪ねました。
この時の事のお知らせです。
8月16日(土)野村会長と共に先生の所へお見舞いに行きました。会長にチャンスがあれば、私もお供したいとお願いしておいたのですが、実現することが出来ました。
当日は10時半に辻堂駅で待ち合わせをし、近くの喫茶店で訪問するにあたっての心構え等を会長からお聞きし、タクシーで先生のおいでになるケア施設に行きました。お年寄り向けのこぎれいな施設でした。玄関を入ってロビーの先にリビングがあり、先生はそこに座っておいでになりました。野村会長がまずご挨拶し、先生はもちろんのこと会長をよく知っておられてにこやかにご挨拶されておりました。次に会長さんから私を紹介してくださったのですが、先生は怪訝な様子で、私からの口からも昭和39年に卒業した丹羽です、先生には在学中も就職にあたっても本当にお世話になりました。私の結婚式にはお越し頂きご挨拶も頂戴しました、などと何回か名前を名乗り、私のことを述べたのですが、残念なことにはっきりと思い出して頂いたようには見受けられませんでした。
施設の方に促され、先生の個室に移り、野村会長から6月14日に明治大学お茶の水紫紺館で行われたじんぺい会の状況を説明され、またその時の集合写真などで集まったメンバーなどについてお話がされました。先生は熱心に会長のお話に頷かれておりました。私も皆さんに会いたいなあ、とはっきりとおっしゃりました。先生是非お体を快復され次回にはご出席してください、と返答しにこやかに頷いておられました。でもここにいて皆さんにお会いできないでいることを寂しいともおっしゃっておいでになりました。
私は東京電力に就職したのですが、仕事で赤坂の電設工業協会にも何回か足を運んだことがます、先生はこの協会をはじめ特に電設工業界には絶大な貢献を果たされたのをよく存じております、などとお話ししましたらにこやかに頷いておられました。事実多くの教え子が日本はもとより世界各地で電気設備の発展に活躍されたことと思います。
リビングでの時間を合わせて30~40分程度の訪問でした。先生は穏やかな雰囲気で対応してくれました。過去の記憶は誰でも怪しくなるもので、先生が思い出さないこともあるのも当然なことと思います。先生は奥様がここにおらない等ともお話しされておりましたが、先生からの言葉からは、とくに不自然さは見受けられずごく普通に穏やかな会話が出来たと思います。
私らが帰るときには、もう帰るのかという感じで、いかにも名残惜しそうでした。ここら辺に昼でも食べるところはあるのかな(あれば一緒に食おうか)という雰囲気でした。極暑にもかかわらず玄関を出て見送っていただきました。
私、先生には何十年とお会いしていませんでした。じんぺい会からの連絡で先生のお体が思わしくないと伺って、なんとしてもお会いし、私65歳まで勤めた電力会社を通じて先生に教えていただいたことを自分なりに発揮出来たことを報告し、お礼の言葉を申し上げたくていました。今回実現できたことを本当に嬉しくほっとしています。先生がお体を快復され、またじんぺい会にご出席され、再会出来ることを改めて期待し楽しみにしています。
丹羽 信昭
Tel&Fax 045-781-7761
E-Mail noburin@seaple.icc.ne.jp
2008年7月27日日曜日
41年卒 高田さんからの投稿です
ブログへの投稿に慣れないためか、ブログへ直接投稿が上手くいかないようで、野村宛にメールをお送りいただきました。 私 野村から、ブログへ転送します。
会員の皆さんも、ブログへの投稿に手間取るようなら、私からブログに転送しますから、私宛ーfwks8797@nifty com-にメールをお送りください。
先生へのお見舞いは6月14日安東さんと御一緒しました。
施設の食堂の椅子に腰掛け我々の方を見て手を振って居ました。
側に行き日本刀の好きな高田です(痴呆症の人には先に名乗れば余分な負担を掛けないと医者に聞いていたので)と言うと「お-判っているよ」と言い握手致しました。
施設の方の好意で椅子を借り先生の居室に移り3人で雑談をしている時しきりに折角来てくれたのに奥様と娘さん二人とも買い物に行って何の愛想も出来ず申し訳ないと言われました。
途中 安東さんが植栽をすると云い中座し先生と二人になった時 昔海軍将校時代の短剣の話になり手振りで形状の説明をしてくれました。
(私が刀を好きなのを知っている素振りでした)
話が途切れた時 安東さんが植栽をするのを見たいと言い食堂の方に戻る時歩きながら彼には植栽とゆう趣味があって良いなあ-自分は何もやる事がないと言って居られました。
三人で部屋に戻り焼物等の話をし先生は綺麗な物が好きだと仰りながら 先日安東さんが持参した写真を机の引き出しより出して見せてくれました。
引き出しの中に古い週刊誌(週刊朝日)が有りましたので新しい週刊誌を置いて行こうか?と言いましたら
もう読むのも億劫だからいらないと言われました。
帰りは靴を履いて玄関の外まで見送りしてくれずっと手を振っていてくれました。
(何か切なかったです)。
身内の方がお見舞いを拒む理由は図り知れませんが先生は喜んでいた様に思えました。
私は時間が許せば又お伺いしたいと思います。
gikentk@crest.ocn.ne.jp
東陽技研工業株式会社
髙 田 克 裕
2008年6月10日火曜日
仁平先生のお見舞い
木曜日に1人で行ってきました。
応接椅子に玄関に向いて、腰掛けていらしたので、先生も気が付いてオーという顔で手を上げて迎えてくれました。
顔色も良く、手先は少し冷たいが手の甲より上は暖かく健康には問題なさそうでした。職員さんに聞くと。今朝は少し具合が悪いようなことを本人が言っていたけれど今は普段と変わりないということでした。
卒業写真アルバムからデジカメで拡大して持って行きました。前夜に作業したのでフラッシュが反射してうまくいかなくて出来の悪い物になり、コピー用紙にしてしまいました。昼の太陽光でなければ真上から撮れないのですね。キチンと再挑戦して写真用紙に取り直しお送りしようと思います。
しかし、写真の出来は悪いが、先生はまあ、感激してくれました。こんな写真をどこから探してきたんだというような反応でした。教授達の写真には特に見入っていてむせぶこともありました。
ゼミの集合写真で坪井さんを指指して坪井さんですよと言いますと、声を上げて「坪井君」といいました。
先生はその写真を台所の職員さんの所へ持っていき、言葉は無しで突き出して、見るように促しました。 3人の職員さんが「若いわねー」とか、言い合っていますので、写真について少し解説しました。また先生の宣伝位しておかないと思い電気設備学会の役員のことやら、今でも本屋に先生の監修した専門書が並んでいることやら話しました。先生は喜んでいたのでその写真を見せに立ち上がったのだと思っています。
職員さんに、先生のことを少しお聞きしました。その日に誰かが尋ねて来たことは大体覚えているようだとのことです。ただ混乱することもあるようで記憶もまだら模様になるようです。
最初の時に居なかったと記憶しているのですが、事務室内に良い体格の女性が居たのですが、その女性を自分の娘だと帰るまでに3回言いました。雰囲気が似ているのだと思います。ただ奥さんのことは今回は言いませんでした。
昼食の仕度が出来たので、食卓に案内して帰りました。
44年卒安東
2008年6月1日日曜日
仁平先生の御見舞
本日午前中に、榎本副会長、48年卒の鈴木さんと三人で仁平先生の御見舞に行ってきました。
11時頃に施設:ホームフレンド辻堂に着いたのですが、お天気が良かったためか 先生は散歩にお出かけでした。 暫くしてお帰りになりましたが、普段は あまり外にはお出にならないようです。 だんだん足元が覚束無くなって来ているのが気がかりです。
先生のお部屋で他の入居者を気にすることなく お話しできるのですが、先生と我々三人で一杯になってしまいます。 一緒に御見舞に行く人数は、四人がマキシマムでしょう。
(前回は椅子もなくベッドに腰かけてお話したのですが、今回は 食堂の椅子をお借りすることができました)
先生の病状から 会話が弾む様にはならず、お互いに一方的に話をするようになってしまいます。 帰宅してから思い付いたのですが、次回は学生時代の写真などを持って行ってみようと思います。
昼食時間を機に退出しましたが、これからの御見舞も「御昼前に伺って 小一時間で退出する」のが、先生の負担にならず良いと思います。
6月14日にじんぺい会の集まりがある事をお話し「また、伺います」と言って失礼してきましたが、今回も我々の訪問を喜んでいただけました。
