丹羽さんからのメールを転送します。
8月16日に 丹羽さんと一緒に、仁平先生を訪ねました。
この時の事のお知らせです。
8月16日(土)野村会長と共に先生の所へお見舞いに行きました。会長にチャンスがあれば、私もお供したいとお願いしておいたのですが、実現することが出来ました。
当日は10時半に辻堂駅で待ち合わせをし、近くの喫茶店で訪問するにあたっての心構え等を会長からお聞きし、タクシーで先生のおいでになるケア施設に行きました。お年寄り向けのこぎれいな施設でした。玄関を入ってロビーの先にリビングがあり、先生はそこに座っておいでになりました。野村会長がまずご挨拶し、先生はもちろんのこと会長をよく知っておられてにこやかにご挨拶されておりました。次に会長さんから私を紹介してくださったのですが、先生は怪訝な様子で、私からの口からも昭和39年に卒業した丹羽です、先生には在学中も就職にあたっても本当にお世話になりました。私の結婚式にはお越し頂きご挨拶も頂戴しました、などと何回か名前を名乗り、私のことを述べたのですが、残念なことにはっきりと思い出して頂いたようには見受けられませんでした。
施設の方に促され、先生の個室に移り、野村会長から6月14日に明治大学お茶の水紫紺館で行われたじんぺい会の状況を説明され、またその時の集合写真などで集まったメンバーなどについてお話がされました。先生は熱心に会長のお話に頷かれておりました。私も皆さんに会いたいなあ、とはっきりとおっしゃりました。先生是非お体を快復され次回にはご出席してください、と返答しにこやかに頷いておられました。でもここにいて皆さんにお会いできないでいることを寂しいともおっしゃっておいでになりました。
私は東京電力に就職したのですが、仕事で赤坂の電設工業協会にも何回か足を運んだことがます、先生はこの協会をはじめ特に電設工業界には絶大な貢献を果たされたのをよく存じております、などとお話ししましたらにこやかに頷いておられました。事実多くの教え子が日本はもとより世界各地で電気設備の発展に活躍されたことと思います。
リビングでの時間を合わせて30~40分程度の訪問でした。先生は穏やかな雰囲気で対応してくれました。過去の記憶は誰でも怪しくなるもので、先生が思い出さないこともあるのも当然なことと思います。先生は奥様がここにおらない等ともお話しされておりましたが、先生からの言葉からは、とくに不自然さは見受けられずごく普通に穏やかな会話が出来たと思います。
私らが帰るときには、もう帰るのかという感じで、いかにも名残惜しそうでした。ここら辺に昼でも食べるところはあるのかな(あれば一緒に食おうか)という雰囲気でした。極暑にもかかわらず玄関を出て見送っていただきました。
私、先生には何十年とお会いしていませんでした。じんぺい会からの連絡で先生のお体が思わしくないと伺って、なんとしてもお会いし、私65歳まで勤めた電力会社を通じて先生に教えていただいたことを自分なりに発揮出来たことを報告し、お礼の言葉を申し上げたくていました。今回実現できたことを本当に嬉しくほっとしています。先生がお体を快復され、またじんぺい会にご出席され、再会出来ることを改めて期待し楽しみにしています。
丹羽 信昭
Tel&Fax 045-781-7761
E-Mail noburin@seaple.icc.ne.jp
2008年8月23日土曜日
39年卒 丹羽さんからの投稿です
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