2008年12月14日日曜日

じんぺい会事務局 野村です




じんぺい会会員各位殿へ
仕事が一段落したと思ったらプライベートの用事が出来たりで、奥様のお墓参り報告後 3ヵ月程ブログ投稿が途切れてしまいました。
榎本副会長からの投稿のように、先生は12月上旬にヘルニア手術のため入院されましたが、現在では退院されお元気の様です。
退院後(12/8?)に先生を訪ねた44年卒の安東さんからメールが届きましたので、以下に ご本人の了解を得てメールを転記いたします。

久しぶりで先生とお会いしました。 忙しくていけなかったので。
お元気でした。 
先日3人の方が見えたようです。(注:私達の事です)
なかなか会話にならなかったようです。 先生はわかるが、先生の言葉が耳元でないと理解できないので、少し離れると聞き取れませんから。
私は耳が遠くなり補聴器を付けましたのでなおさらです。 先生の口元に耳を付けて
先生と手を握り合って話しています。 力強く握ってくれています。 顔色もよく。
先週、ヘルニアの手術からお帰りになったとのこと。 そういえば前回トイレへ行くのに介護さんが一緒にWCへ入りましたが、昨日は一人で入りました。
歩くのも良くなったとのことです。
デイサービスのヘルパーさんは移動がはげしいのですが、ここの介護のおばさんたちがほとんどいつものメンバーなので良いですね。
顔見知りになって先生の状況を教えてくれるようになりました。
また年末にいこうかと思っています。 ご一緒できれば良いですが。


我々が11/29に先生を訪ねたとき、短時間でしたが話に夢中になってお写真を撮るのを忘れてしまいました。 外に出てから気がついたので、施設の前で写真を撮ってきました。
先生がどの様な施設にいらっしゃるのか ご存知でない方が多いと思いますが、新築で明るく不自由さを感じさせない施設だと思います。 (写真に写っている二人の爺さんは施設の世話になっている者ではありません。 無視して下さい)

皆さんのお手元に、じんぺい会の写真がありませんか? 
先生も皆さんも若かった頃の写真をお持ちでしたら、ご自身でブログの投稿するか私宛にお送りください。(デジタルデータでなくても構いません)
私も何年か分の写真を持っているので、これから時々 ブログに載せたいと考えています。

今年も あと数週間になりました。 皆さん、お元気で新年をお迎えください。

2008年12月1日月曜日

11/29 仁平先生にお会いしてきました

 野村会長、根岸氏、榎本の三人で行きました。先生はロビーでお待ちしていました。事前に会長がTELしていたので待っていた様子でした。こちらから名前を告げると、少し思い出された様子でした。
 私の印象では、少しお元気が前に行ったときよりも良くなってないように見受けられましたが、あとのはなしで、ヘルニアで、近じか病院に行くと聞いたので、なるほどそのせいかと思いました。
 その後先生の部屋でお話をしました。先生の声は小さかったのでききとりにく3人で通訳などしてわかったくらいです。部屋には自宅のように本が無いので寂しそうでした。会長が今度来るときに建築の写真集を持ってきましょう、というとうれしそうに返事をしていました。
 先生がふと奥様の話をだされてわたしたちではご病気でそれ以上はわからないというと、さびしそうにしていました。15分程度のお話しか出来なかったので、詳しいことは報告できませんが以上先生の印象です。

2008年9月14日日曜日

じんぺい会事務局 44年卒の野村です


仁平家のお墓参りに行ってきました。
御存じのように、昨年12月9日に仁平先生の奥様:宏子様がお亡くなりになりました。
奥様の事を忘れていた訳ではありませんが 仁平先生ご自身の事が気になって、つい お墓参りに行きそびれていました。
もう暫く待って お彼岸に行くべきかとも考えたのですが、その頃は何かと忙しくなりそうなので、思いきって9月9日に家内と二人でお墓参りをしてきました。
奥様に初めてお会いしたのは、大学2年生の正月だったと記憶していますから 既に40年も前の事になりました。
無理を云って結婚式の仲人をお願いし、その後は私より むしろ家内の方が より親しくお付き合いをいただいていました。
以前から 笑いながら「足がわるくて良く転ぶの。 また骨折しちゃったんです」と お話されていましたが、脳梗塞の兆候があったとは知らず、訃報を聞いた時は本当に吃驚しましたし 未だに信じられない思いです。
写真を撮られるのが お嫌いで、とうとう1枚も撮らせていただけなかったのが心残りです。
お墓には、奥様の他 仁平先生のお父様、お嬢様:純子様が納骨されています。

仁平家のお墓は、藤沢市の大庭台墓苑にあります。
詳しくは、大庭台墓苑 14区 2-15列 6番 です。 (この事は同期の安東さんに調べていただきました)
辻堂駅北口からバスがありますが、緑が多く 広々と明るい公園霊園です。 
バス停:西高校前を降りてから墓苑の中を かなり歩く事になりますから、お出でになる方は事前に藤沢市のインターネット ホームページで調べて下さい。
お彼岸時期を避けて、車かタクシーの利用が良いのではないでしょうか。
以上 お墓参りの報告です。

じんぺい会事務局 44年卒の野村です

2008年8月23日土曜日

39年卒 丹羽さんからの投稿です


丹羽さんからのメールを転送します。
8月16日に 丹羽さんと一緒に、仁平先生を訪ねました。
この時の事のお知らせです。

 8月16日(土)野村会長と共に先生の所へお見舞いに行きました。会長にチャンスがあれば、私もお供したいとお願いしておいたのですが、実現することが出来ました。
 当日は10時半に辻堂駅で待ち合わせをし、近くの喫茶店で訪問するにあたっての心構え等を会長からお聞きし、タクシーで先生のおいでになるケア施設に行きました。お年寄り向けのこぎれいな施設でした。玄関を入ってロビーの先にリビングがあり、先生はそこに座っておいでになりました。野村会長がまずご挨拶し、先生はもちろんのこと会長をよく知っておられてにこやかにご挨拶されておりました。次に会長さんから私を紹介してくださったのですが、先生は怪訝な様子で、私からの口からも昭和39年に卒業した丹羽です、先生には在学中も就職にあたっても本当にお世話になりました。私の結婚式にはお越し頂きご挨拶も頂戴しました、などと何回か名前を名乗り、私のことを述べたのですが、残念なことにはっきりと思い出して頂いたようには見受けられませんでした。
 施設の方に促され、先生の個室に移り、野村会長から6月14日に明治大学お茶の水紫紺館で行われたじんぺい会の状況を説明され、またその時の集合写真などで集まったメンバーなどについてお話がされました。先生は熱心に会長のお話に頷かれておりました。私も皆さんに会いたいなあ、とはっきりとおっしゃりました。先生是非お体を快復され次回にはご出席してください、と返答しにこやかに頷いておられました。でもここにいて皆さんにお会いできないでいることを寂しいともおっしゃっておいでになりました。
 私は東京電力に就職したのですが、仕事で赤坂の電設工業協会にも何回か足を運んだことがます、先生はこの協会をはじめ特に電設工業界には絶大な貢献を果たされたのをよく存じております、などとお話ししましたらにこやかに頷いておられました。事実多くの教え子が日本はもとより世界各地で電気設備の発展に活躍されたことと思います。
 リビングでの時間を合わせて30~40分程度の訪問でした。先生は穏やかな雰囲気で対応してくれました。過去の記憶は誰でも怪しくなるもので、先生が思い出さないこともあるのも当然なことと思います。先生は奥様がここにおらない等ともお話しされておりましたが、先生からの言葉からは、とくに不自然さは見受けられずごく普通に穏やかな会話が出来たと思います。
 私らが帰るときには、もう帰るのかという感じで、いかにも名残惜しそうでした。ここら辺に昼でも食べるところはあるのかな(あれば一緒に食おうか)という雰囲気でした。極暑にもかかわらず玄関を出て見送っていただきました。
 私、先生には何十年とお会いしていませんでした。じんぺい会からの連絡で先生のお体が思わしくないと伺って、なんとしてもお会いし、私65歳まで勤めた電力会社を通じて先生に教えていただいたことを自分なりに発揮出来たことを報告し、お礼の言葉を申し上げたくていました。今回実現できたことを本当に嬉しくほっとしています。先生がお体を快復され、またじんぺい会にご出席され、再会出来ることを改めて期待し楽しみにしています。

丹羽 信昭
Tel&Fax 045-781-7761
E-Mail noburin@seaple.icc.ne.jp

2008年8月2日土曜日

ブログ名称 投票結果

本ブログの名称を決めるために、5月から行っていた投票です。
7月31日に締め切りましたのでその結果をお知らせします。

総投票数:12票
内訳
建築環境研究会-------3票(25%)
じんぺい会-----------8票(66%)
照明工学研究室-------1票(8%)
その他---------------0票(0%)

ということで、引き続きブログ名称は「じんぺい会」で運用していきます。

河内(60)

2008年7月27日日曜日

41年卒 高田さんからの投稿です

ブログへの投稿に慣れないためか、ブログへ直接投稿が上手くいかないようで、野村宛にメールをお送りいただきました。 私 野村から、ブログへ転送します。
会員の皆さんも、ブログへの投稿に手間取るようなら、私からブログに転送しますから、私宛ーfwks8797@nifty com-にメールをお送りください。 

先生へのお見舞いは6月14日安東さんと御一緒しました。
施設の食堂の椅子に腰掛け我々の方を見て手を振って居ました。
側に行き日本刀の好きな高田です(痴呆症の人には先に名乗れば余分な負担を掛けないと医者に聞いていたので)と言うと「お-判っているよ」と言い握手致しました。
施設の方の好意で椅子を借り先生の居室に移り3人で雑談をしている時しきりに折角来てくれたのに奥様と娘さん二人とも買い物に行って何の愛想も出来ず申し訳ないと言われました。
途中 安東さんが植栽をすると云い中座し先生と二人になった時 昔海軍将校時代の短剣の話になり手振りで形状の説明をしてくれました。
(私が刀を好きなのを知っている素振りでした)
話が途切れた時 安東さんが植栽をするのを見たいと言い食堂の方に戻る時歩きながら彼には植栽とゆう趣味があって良いなあ-自分は何もやる事がないと言って居られました。

三人で部屋に戻り焼物等の話をし先生は綺麗な物が好きだと仰りながら 先日安東さんが持参した写真を机の引き出しより出して見せてくれました。
引き出しの中に古い週刊誌(週刊朝日)が有りましたので新しい週刊誌を置いて行こうか?と言いましたら
もう読むのも億劫だからいらないと言われました。
帰りは靴を履いて玄関の外まで見送りしてくれずっと手を振っていてくれました。
(何か切なかったです)。
身内の方がお見舞いを拒む理由は図り知れませんが先生は喜んでいた様に思えました。

私は時間が許せば又お伺いしたいと思います。

gikentk@crest.ocn.ne.jp
東陽技研工業株式会社
   髙 田 克 裕

2008年7月21日月曜日

じんぺい会事務局 44年卒の野村です

6/14(土)じんぺい会案内の返信葉書(事務局から発送した葉書の約半数)に、色々な御意見・御希望が寄せられました。
私としては皆さんの御意見を理解したうえで、6/14のじんぺい会で
①じんぺい会は、今後暫くは 今まで通り継続する。
②会員相互の連絡や情報交換等のために、ブログを開設したい。
③48年卒の鈴木仁さんに副会長に就任してもらう。 事を提案し、出席者の賛同を得ました。

葉書に書かれた御意見・御希望については、下記をご覧いただきたいのですが、①について補足させていただきます。
私自身は一昨年末に、大学卒業後 約40年間勤めた事務所を定年退職し第二の勤めに入りましたが、体力の衰えを実感し 無理の無い勤務条件に変えてもらっている状況です。
このまま、何時まで動き回れるか分かりませんし、“じんぺい会”会長職も今後長期間に亘ってお引き受け出来る自信もありません。 何時までも60を超えた私や榎本副会長が頑張れる訳ではありませんから、皆さんには常に次の事をお考えいただきたいと思います。
しかし、仁平先生の病状がハッキリしない今ここで、私には 会の解散や再編を考える事は出来ませんでした。


今後の“じんぺい会”について、大半は“コメント無し”や“事務局の判断にお任せ”でしたが、以下にお寄せいただいた御意見・御希望の要旨を転記します。

会の先輩・後輩との面識はなく、また先生がご高齢になられた現状では「名ばかり会員」の小生としては今後に出席する予定はありません。         S37年卒 K氏

お互いに高齢化が進んでおります。 勝手ながら これからは個々人で皆様のご健勝をお祈りさせて頂きたいと思っております。 長年に亘る無礼を謝し、今後の皆様のご活躍・ご健勝をお祈り申し上げます。 お世話になりました。       S39年卒 M氏

私は完全に現役を退き、隠居の身で各界からのお誘いも欠席していますので、申し訳ありませんが今後は退会扱いにして下さい。              S36年卒 S氏

私は現在闘病生活を続けています。 この際「じんぺい会」を退会のお願い申し上げたく思いますので、ご承認を願います。                S33年卒 I氏

遠距離のため、今後のじんぺい会への参加は困難です。 今までの連絡に感謝致しております。                             S37年卒 M氏

私ももう65才になり意欲が無くなっています。 まことに勝手ですが、連絡頂いても申し訳ありませんので、今後は連絡を辞退させて下さい。 宜しく御願い致します。
          S41年卒 N氏

先生が御出席できないじんぺい会は今後も出席者が減ってくる事が予想されます。 従来の会を一端 区切りとしたら如何でしょう。 今後の会としては、仁平研究室の同窓会として仮に“仁平同窓会”として改めて発足しては如何でしょうか。  S44年卒 O氏

仁平ゼミは、かなり以前の「グループ」であり、仁平先生の現状を考えると“じんぺい会”を解散しても良いのではないかと思います。            S33年卒 T氏

仁平先生の出席があっての「じんぺい会」ですので、今後先生の御出席が望めないのであれば「じんぺい会懇親会」は継続せず解散してはいかがですか。   S46年卒 B氏

私自身も体調不良につき外出もつらい昨今であり、先生の体調を考えると「解散も止む無し」と考えます。 本日までの御苦労に感謝致します。       S35年卒 K氏

仁平先生居ての“じんぺい会”。 出席なければ発展的解散。     S34年卒 M氏

先生の出席が望め無いこれからの事を考えると、この際 会の解散を考えた方が良いのではと思います。                         S39年卒 I氏

『じんべい会』は先生が教壇を離れた時点で、その後の事を考慮すべき問題であったと思います。 先生が教壇から離れるという事は、教え子が出ないので新会員の増加を期待出来ないということになります。 水源が枯れた湖のようなもので現会員も加齢と共に自然減少し、会が成立たなくなると思います。 ご家族も他界され、先生の気力減退もあり、先生を求心力とする会の維持は困難なものになりつつあると考えられます。 従って、丁度よい機会なので一旦、『じんべい会』を解散し、先生への想いをつなげて行きたい教え子は、新たに同好会でも結成して活動したら如何ですか。 S37年卒 K氏

地方に住んでいますと上京の機会も少なく、又あっても なかなか重い腰を上げる事も出来にくくなっております。      S40年卒 K氏


小生は痛風を患って少々歩行に難になってしまいました。 もう少し様子を見たいと思っています。                           S39年卒 K氏

仁平先生に心の支えとしての役割を担っていただきましたおかげで、何とか定年まで仕事を続けることが出来ました事 一生感謝しております。 じんぺい会に出席出来ずとも、会員であることに誇りを持っております。 S42年卒 A氏

じんぺい会の存続を宜しくお願いします。 S51年卒 S氏

じんぺい会は今まで通りの組織・会費・年1回の開催で継続できればと思います。
S34年卒 I氏

永年続いた“じんぺい会”、出来れば続けて欲しいと思います。 S34年卒 T氏

じんぺい会の継続を希望します。 懇親会は、出来れば年1回の開催を希望します。
S53年卒 A氏

私の希望としては最後の一人になるまで“じんぺい会”は続けていきたい。 続けてほしい。                              S53年卒 T氏

従来の通り続けた方が良いと思います。 S35年卒 Y氏

今後も継続した方が良いと思います。 S47年卒 O氏

定例的な会合も価値あると思いますが、定常的な情報交換ができるような仕組みを立ち上げたらどうかと思います。 Web上に作ることも可能ですので。  S60年卒 K氏

我々は“仁平ゼミの卒業”という共通性を持っての集いですが、残念ながら縦横の親睦や連携が良いとは言えません。 中心人物の健康や存続に左右されるのは仕方ないことかも知れません。 但し我々の思い出が消えるわけでもなく、確かにゼミそのものは短い期間ではありましたが、その小さなゼミの土台に大きな経験を積み上げてきた現在の我々ですから これからも機会ある毎に集って語り合う場を持つことはとても有意義かと思います。
                             S42年卒 K氏

仁平先生不在の“じんぺい会懇親会”は あまり意味が無いと思います。 今後の“じんぺい会”については事務連絡の会とした方が良いのでは・・・。     S48年卒 G氏

今後の“じんぺい会”の運営については、折角の永く続いた会ですので、情報交換の場として活かして欲しいと思います。                 S31年卒 I氏

2年に1度は必ず会を開いて下さい。(毎年でも良いです)      S49年卒 H氏

今後も年1回の“じんぺい会”を継続する様お願いします。 年1度の“じんぺい会”楽しみにしています。 S48年卒 K氏

先生の健康状況から今後のご出席は出来ないとしても、これからも年1回程度の集まりは継続した方が良いと思います。 平成2年3月の卒業生までの皆様が各方面で活躍されている事ですし、先輩後輩を通じた人的ネットワークを広げていける場の一つとしての意義があると思います。       S48年卒 M氏

“じんぺい会”は今後も存続して頂きたいと思っております。    S50年卒 A氏

何らかの形での会の存続を希望します。              S46年卒 I氏

2008年7月13日日曜日

じんぺい会事務局 44年卒の野村です

先程の投稿で卒業年度を間違えました。 少々ボケて来たのかも知れません。
ブロブに添付してある写真は、写真の上でマウスをクリック(左クリックだと思いますが)すると拡大されます。

43年卒の野村です

今 このブログをご覧になっている方は、事務局からの葉書に従ってアクセスしていただいて無事に成功した方でしょう。
ブログそのものは60年卒の河内さんの御尽力で比較的早く準備できたのですが、“じんぺい会”会員へのブログアクセス方法を どの様に伝えたら良いかの確認に手間取りました。
会員が使用しているインターネットプロバイダーは色々ですから、間違いなくアクセスし成功するか不安でした。 多分70~80%の会員は、ご本人が希望すればアクセス出来るはずです。
現在 皆さんは“ブログの閲覧”が可能な状態ですが、事務局が期待している“ブログへの投稿”には もう1ステップ必要です。 お手数ですが、投稿には会員登録(gmailアドレスの入手)を必要とするため、jinpeikai@gmail.com へ メールを送って下さい。 ブログの管理者から招待状と手続きの案内をお送りします。
「手続きが面倒だ」と思われるでしょうが、不適切な内容や個人情報等々に触れる内容の公開を避けるためのセキュリティ確保です。 一度 手続きが完了すれば、以後は不要ですから、是非ご協力をお願いいたします。

このブログは、不適切な内容や企業・個人の機密情報以外 特に内容に制限は設けませんので、仁平先生に叱られた事・褒められた事・学生時代の思い出・仕事の事・趣味の事・親しい方との交流・御家族との旅行記等々 何でもありで投稿してください。

私からも、時々 投稿しますから、月に1回位はアクセスしてください。

2008年7月5日土曜日

14日の写真




不安が的中し、写真が添付されませんでした。

再度 挑戦してみますが・・・。

2008年6月10日火曜日

仁平先生のお見舞い

木曜日に1人で行ってきました。
応接椅子に玄関に向いて、腰掛けていらしたので、先生も気が付いてオーという顔で手を上げて迎えてくれました。
顔色も良く、手先は少し冷たいが手の甲より上は暖かく健康には問題なさそうでした。職員さんに聞くと。今朝は少し具合が悪いようなことを本人が言っていたけれど今は普段と変わりないということでした。

卒業写真アルバムからデジカメで拡大して持って行きました。前夜に作業したのでフラッシュが反射してうまくいかなくて出来の悪い物になり、コピー用紙にしてしまいました。昼の太陽光でなければ真上から撮れないのですね。キチンと再挑戦して写真用紙に取り直しお送りしようと思います。

しかし、写真の出来は悪いが、先生はまあ、感激してくれました。こんな写真をどこから探してきたんだというような反応でした。教授達の写真には特に見入っていてむせぶこともありました。 
ゼミの集合写真で坪井さんを指指して坪井さんですよと言いますと、声を上げて「坪井君」といいました。
先生はその写真を台所の職員さんの所へ持っていき、言葉は無しで突き出して、見るように促しました。 3人の職員さんが「若いわねー」とか、言い合っていますので、写真について少し解説しました。また先生の宣伝位しておかないと思い電気設備学会の役員のことやら、今でも本屋に先生の監修した専門書が並んでいることやら話しました。先生は喜んでいたのでその写真を見せに立ち上がったのだと思っています。

職員さんに、先生のことを少しお聞きしました。その日に誰かが尋ねて来たことは大体覚えているようだとのことです。ただ混乱することもあるようで記憶もまだら模様になるようです。

最初の時に居なかったと記憶しているのですが、事務室内に良い体格の女性が居たのですが、その女性を自分の娘だと帰るまでに3回言いました。雰囲気が似ているのだと思います。ただ奥さんのことは今回は言いませんでした。 

昼食の仕度が出来たので、食卓に案内して帰りました。 
44年卒安東

2008年6月1日日曜日

仁平先生の御見舞


本日午前中に、榎本副会長、48年卒の鈴木さんと三人で仁平先生の御見舞に行ってきました。
11時頃に施設:ホームフレンド辻堂に着いたのですが、お天気が良かったためか 先生は散歩にお出かけでした。 暫くしてお帰りになりましたが、普段は あまり外にはお出にならないようです。 だんだん足元が覚束無くなって来ているのが気がかりです。
先生のお部屋で他の入居者を気にすることなく お話しできるのですが、先生と我々三人で一杯になってしまいます。 一緒に御見舞に行く人数は、四人がマキシマムでしょう。
(前回は椅子もなくベッドに腰かけてお話したのですが、今回は 食堂の椅子をお借りすることができました)
先生の病状から 会話が弾む様にはならず、お互いに一方的に話をするようになってしまいます。 帰宅してから思い付いたのですが、次回は学生時代の写真などを持って行ってみようと思います。
昼食時間を機に退出しましたが、これからの御見舞も「御昼前に伺って 小一時間で退出する」のが、先生の負担にならず良いと思います。
6月14日にじんぺい会の集まりがある事をお話し「また、伺います」と言って失礼してきましたが、今回も我々の訪問を喜んでいただけました。