2012年3月29日木曜日

仁平先生のお見舞い

最近になって、やっと各地から桜開花の便りが届く様になりました。

今年の冬は例年以上に寒さを感じました。

皆さん、お変わりありませんでしょうか。

いろいろと私事・雑事があって仁平先生のお見舞いが遅れていますが、次回事務局のお見舞いを5月下旬頃の土曜日に予定しようと考えています。

皆さんの中には、「仁平先生のお見舞いに行きたいのだが、一人ではちょっと・・・」と言う方がいらっしゃるのではないでしょうか。

他の施設入居者の迷惑になりますから一度に大勢でお見舞いには行けませんが、数名ずつの会員でしたら私たち事務局に同行していただく事は可能と思います。

何時もは10時過ぎにJR辻堂駅改札口待合わせで施設を訪問し、施設の昼食時間をきっかけに退出する様にしています。

お見舞いに同行を希望される方は、私(野村)宛にご連絡ください。

もし希望者が多数いらっしゃるなら、幾つかのグループに分けてご案内したいと考えています。

2012年3月12日月曜日

37年卒業の竹浪隆さんから

37年卒業の竹浪隆さんから、在学時代の思い出などをお書きいただいたメールが届きました。
ご本人に了解をいただきましたので、早速ブログに掲載させていただきます。
私(野村)の在学時は4年間生田校舎で過ごしましたから、聖橋校舎の研究室の事などは初めて知りました。
皆さんも、在学時の思い出などブログに投稿いただく様お願い致します。
 
 小生、藤沢市の竹浪といいます。
先月、じんぺい会事務局からの書簡を頂きました。
仁平先生の状況をお知らせいただきまして、ありがとうございました。
いつもじんぺい会事務局のご苦労に対して心から感謝申し上げる次第です。
 小生は昭和37年卒業で、当時は先生の娘さんが、未だ小学生の時分かと記憶しております。
私の在学当時、工学部は1年生から4年生まで神田駿河台で過ごしました。
当時は工学部の校舎は無く、授業毎にあちこちの校舎を移動しながらの授業で、実験室といっても一時しのぎの程度でした。
4年生になって、ようやく小川町(聖橋校舎)の仁平先生の研究室(お粗末な部屋でした)に入るようになりました。
工学部の偉い先生たちの研究室は此処ではなく、駿河台本校の大学院の個室でした。
現在の明大工学部からみるとお話にもならない時代でした。
聖橋校舎はニコライ堂のある大通りを小川町交差点に向けて下り、もうそろそろ交差点にさしかかる辺りの左側にあって、当時から一等地にありました。
(今はどこかの会社のビルに建て代わっている)
そんなに広くない敷地でしたが、白っぽい3階か4階建てのお世辞にも明るい雰囲気ではない校舎で、1階のど真ん中が機械科の機械が据付けられた吹き抜け状になっていて、それを2階から手すり越しに見下ろすかたちで、各ゼミの部?室が並んでいたと記憶しています。
仁平先生の研究室もこの中のひとつでしたが、殆どが不在で二部の学生が留守番役で管理していました。
実験器材も測定機器類も殆ど無く、実験も各自工夫して適当にやってという感じでしたね。

卒論もいい加減で、目途がたったとの口実でマージャン屋が隣にあったことから、ちょくちょく息抜きと称してマージャンをやっていました。

人生で一番いいかげんで、幸せな時であったと思うと同時に、後悔が残る短かった仁平ゼミでの1年でした。

就職は、“仁平ゼミは照明”ということで、そのはずみで小糸製作所(後に小糸工業に移籍)に入りました。
定年後すぐに野村さんの住所に近い金沢区福浦の金属団地の一角にあるN光機工業に移り、現在も毎日 新都市交通シーサイドラインにて通勤しております。
この会社はちっぽけな会社ですが、照明機器の専門会社です。
 仁平先生に最後にお目にかかったのは今から156年以前になります。
電気設備学会で先生が委員長を務めていたある研究委員会で再会し、先生も小生のこと覚えていて下さって、まわりの方に「昔の私のゼミの卒業生だ」と紹介していただき、大変懐かしがっていただいたことを今でも思い出します。
 長くなりましたが、じんぺい会のメンバーの一員といっても50年前の卒業生という立場からもお送り頂いた手紙の内容については、全く同感であります。
永い間事務局としてお世話頂いていること厚く御礼申し上げる次第です。
仁平先生のこれからのご健康を祈りながら失礼いたします。